時間が経過することの必要性
過去に読んでいた本を、ちょいとしたきっかけで読む機会があり、なんとなく眺めていると…
そのときにはさらっと流し読みしただけの文面が、なぜかぐっと入ってきたフレーズがありました。
当時、難しい本を読むこと・それを知ったげにして振る舞うことこそがクールなんだ、と思ってそう振る舞っていた…
まさに非モテの極み〜笑
そこから数年の間のいろんな経験やらが自分の中で蓄えられて、たまたまそのフレーズの奥底に秘められた内容に、はたと気づいたのかもしれませんね。
当時はよくわからずスルーするしかなかったんでしょう。
その経験をした後、本棚にあるものをひとつかみしてもいっぺん読んで見たところ、そういうことだったのか!なんて箇所があれよあれよとたっくさん見つけてしまいました。
その感覚が楽しくなってしまい、忘れないようにってことで本の中で気になった箇所をノートにメモするようにすると、後でその箇所にアクセスした際に、別の本のメモしたものとのつながりを感じるときがあります。
ライムスターの最近リリースされたアルバムの曲で
”ガラパゴス”という曲があります。
そのPVの中で、それはそれは壮大なマインドマップが巨大な黒板に白いチョークで形成されている場面があります。
それはそのPVの根幹となる部分です。
ひたすら言葉をつむぎつむぎ、最後にのこった搾りかすのようなものがリリックとなり私達をときめかせるんですね。
言葉が生まれるひらめきを助けるものが、その繋がりなんだと気づきました。
いったん本の中の知識を頭の中にいれて、そのあと何年も何年も生活する中でああでもないこうでもないと 反芻しながら生活する。
そういう思考過程を、外山滋比古さんは著書の中で
”醗酵” という言葉で表されていました。
熟成とはいわず、醗酵 なんですね。
アルコール好きな人は頷いていただけれると思います。
ゆっくり時間をかけて、時がたつのをまつ。
いそいではなりません、あせってはなりません。
という発想なのでしょうか。
何はなくとも、続けていくこと♪