<目に映るもの、それがすべて正しいと思うことについて>

ほんとうはこういうタイトルにしたかったんです。

〈紙でもなんでも、書かれてることが正しいと、無意識がそう判断してること それこそが一番の問題 と思うことについて〉

↑これがオリジナルのタイトル。

端折られるのが、文字表現の定めですね。

書籍・新聞・雑誌など紙に書かれている文字の内容、もしくはラップトップ・タブレットなどのモニター画面に映っている文字の内容が、どうしたことか”正しい”とジャッジしてしまう頭の中の仕組み。

地域別に分かれてていろんなテーマがある匿名掲示板であれば、話半分それ以下としてスルーしてもなんら差し支えありませんが、ニュースのサイトやまとめサイトなどに書かれてある記事になってしまうと…そうは認識されません。

以前まとめサイトに書かれた記事について話題を呼んだ時期がありましたが、改めて記事内容の真贋それ自体を問われる意識付けがされるのは、良いことだと思っています。


もちろん初等教育として、教科書や参考書などのテキストを読むことによって基礎教育ができるわけで、それこそがベーシックな部分を築いてきた大切な部分であることは、否定しようがありません。

ただし、大人になっていく過程において、その考え方から離れられない・飛躍していってないのが現状なんだと思いますね。

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この書籍に出逢って、深〜く考えさせられました。

苫米地英人:著

現代版 魔女の鉄槌
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書かれてあることが正しい、という今までずっと当たり前だと思っていたことについての理由や、人間はなぜそう判断してしまうのかという頭の中の仕組みについて、歴史的背景を基にした丁寧かつシステマティックな解説がなされてあります。

あまりにもテーマが壮大すぎて深すぎて、書評するなんておこがましいどころではすまない、個人的に多大な影響をうけた書物です。
もし興味があればぜひ。

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○○に書いてあったから、■■さんがそう言ってたから、という妙な権威づけによる思いこみを持たせることは、まさに仕掛ける側にとって思うツボです。


昔も今も、そういう権威付けは”ブランディング”・”資格”、今風に言い換えるなら”信用”なんて呼ばれています。
さらに、マーケティングで後押しをすることによって目に見えない商品価値をさらに上げることができるでしょう。

その信用を積み重ねることによって、ファンが生み出されます。

誰々さんのファンであれば、その人の発信する情報はどんな些細なものであっても、大切な情報なんです。

”テレビに出ているから”というそれだけの理由だけで、今でもテレビに映っている人が発言した内容がかなりの影響力を持っていますが、近年ではインスタグラムにしてもツイッターにしても、SNSというオウンドメディアから発信される情報そのものが、発信者の信用がありさえすれば芸能人や著名人でなくとも絶大な影響をもたらすんですよね。

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そうはいっても、新聞の折込チラシやネットに掲載されている商品の価格自体をうたがえ!
なんて発想は微塵もありません。
バーゲンで安く売っている商品を、ほんとは売場では高く売ってるに違いないんでしょ、なんて、思いませんよね。

これは、広告の持つ”真実だけを伝える”という際たる目的をちゃんと果たしているからこそ、ではありますが、そればっかりで来ているからこその弊害があります。

週刊誌は大好きでよく読んでいます。
提灯記事 なんてのもあります。
東京スポーツなどのスポーツ新聞は、究極のエンタテインメントだと断言します。

それを踏まえて:

良いことばっかり書いてるけど、本当はどうなの?
これは、真に<クリティカル>。

疑う という言葉ひとつ聞いて、日本人はどのようにその単語を解釈するでしょうか?

ネガティブな方向で
■”ほんとうはちがうんだろ!”なんていう刑事ドラマの尋問シーンをイメージしたり、

■”みんながそう思ってるのに、ひとりだけ違うことを思ってるなんて夢がないなぁ” なんて多数決の論理で肩身のせまい思いをしてみたり

批判的 としか表現されていないなんて、日本語のもどかしさを感じます。


英英辞典や国語辞典をめくってみると、ひとつひとつの単語の意味がたくさん羅列してあります。
その他のお国の言葉でもそうですが、一つの言葉をとっても、意味は多岐に渡っているんですね。

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書いてあることについて、あれ?何か変じゃない?

なんて思うのは、正しいと思います。

他のだれでもない、自分自身が今までに体験してきたことからそう判断するのであれば、常にその直感は信用していいんです。

想像力を働かせて、鍛えること。

たった1つだけの解釈なんて、存在しないということ。

これにつきると思います。



何はなくても、続けること♪